10月30日、冷たい雨が降りしきる長居スタジアム。
2ndステージ首位の浦和を迎えた試合、セレッソはGK伊藤の度重なる好守を報いることなく惨敗した(0―2)。
試合後、選手たちがゴール裏へと挨拶に向かった時、悲鳴にも似た大きなブーイングが巻き起こった。
サポーターは、今季のセレッソ大阪の不甲斐なさにもう我慢は限界にまで来ている。
今回は、セレッソの低迷の理由を自分なりに考えてみたい。

まず、最大の誤算とも言えるのが、監督人事の問題であったと思う。
開幕前、昨季後半を指揮した塚田氏辞任を受けて、ナドべザ氏の就任が発表された。
日本での知名度は皆無に近い存在であったが、セルビアでは名のある指導者のようで、コーチ人事・外国人選手の人選はほとんど彼に託されたようだ。
順風満帆に始まるように見えた新生セレッソ(昨季から大幅なメンバー変更があったので)だが、キャンプ直前になり第1の誤算が訪れた。
ナドべザ氏が体調不良による来日不可で契約が解除されてしまう。
ここで、セレッソが取った対応は不可解と言うしかないものであった。
ナドべザ氏が招聘したへッドコーチ格の人間がいたにもかかわらず、「監督選考の最終候補に残った1人」だからという理由で後任監督にムズロビッチ氏が就任した。
スタッフを始めとする外国籍選手は全て残留という、まさに「頭だけを取り替えた突貫工事」であった。
そして、この突貫工事は全く功を奏さず、ムズロビッチ氏は公式戦で1勝も挙げることなく帰国の途についた。
彼の若手登用の政策は良かったが、戦術があまりにも空虚すぎた。
一説には、フィジカルトレーニング中心で戦術練習が乏しいことで選手からの信頼を失ったと言われているが、僕は確執があったのではないかと思っているし、『週刊サッカーダイジェスト』誌では次に監督となったアルべルト氏が、インタビューの中で全体的なコミュニケーション不足を暗に認めていた。
さて、すでに紹介はしてしまったが、2004年のセレッソ3代目監督となったのが、ナドべザ氏にへッドコーチ役として招聘されていたアルべルト氏である。
彼はへッドコーチを務めていたこともあり選手との信頼関係はある程度は築けていたように思う。
しかし、セレッソの慢性的な問題点である守備陣の再建・確立は果たすことができず、また不可解な采配もチラホラ見られ、辞任という形ではあるが1stステージ終了後に日本を去った。

1stステージを最下位という最悪の成績で折り返すこととなったセレッソ。
今年は、来年からのJ1のチーム増加により自動降格はないものの、J1の最下位はJ2の3位との入れ替え戦が待っている。
何が何でも入れ替え戦出場を避けるために2ndステージの命運を託したのは、大分トリニータで監督経験のある小林氏だった。
短期間で立て直しを行うためには選手と直接コミュニケーションが取れる人が良い(=日本人)との判断だろう。
小林監督は選手との対話で、チームの問題点を自覚させることに努めた。
岡山県の美作で行われた強化合宿では1人1人との面談を繰り返したようである。
また同時に、後半戦に向けての選手補強も行われた。
外国人枠ではDFカブラル、FWロブレクに替わり、運動量豊富な中盤にマリオ、空中戦に力を発揮しそうな前線にミキ。
そして、徳重隆明選手と同様にJFLからの発掘になる、点取り屋の古橋選手を獲得した。
開幕直後には新たに左サイドバックを本職とする大森選手を補強し、選手層に関しては一定のラインを確保できたと言える。
しかし、だからと言って結果はそう簡単には伴ってこなかった。

やはり弱点となったのは、長年の問題と言える守備陣の崩壊である。
シーズン当初、セレッソは3バックを上村・ラデリッチ・カブラルで固めると見られていた。
この3選手全ての特徴は空中戦への強さである。
これにより、セットプレーからの失点を減らせる計算がなされた。
また、カブラルについては今季Jリーグ最長身選手として大化けも期待した。
が、いざ実戦となると脆さがすぐに露呈した。
カブラル・ラデリッチはその身体能力を十分と生かせず、そして日本の早いプレッシングサッカーに適応できていなかった。
期待された新戦力の上村選手もいささかセレッソのサッカースタイルに戸惑いを感じたのか、
僕は絶頂期の姿を知っているだけにそのパフォーマンスには納得できなかった。
開幕前の構想は完全に破綻し、この後、セレッソのシステムは3バックと4バックで迷走することとなったのだ。